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東京地方裁判所 平成7年(ワ)5664号 判決

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

一  甲事件

1 被告株式会社乙山(以下「被告会社」という。)は、原告に対し、別紙物件目録一ないし三記載の各不動産につき、真正な登記名義の回復を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

2 被告会社は、原告に対し、別紙物件目録一及び二記載の各建物を明け渡し、平成四年一二月二五日から右明渡済みまで一か月金三〇万円の割合による金員を支払え。

3 被告中ノ郷信用組合(以下「被告信用組合」という。)は、原告に対し、別紙物件目録一の建物につき、東京法務局墨田出張所昭和六三年一一月一〇日受付第五六六五七号の根抵当権設定登記の抹消登記手続をせよ。

二  乙事件

1 被告会社は、原告に対し、別紙物件目録四記載の土地につき、真正な登記名義の回復を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

2 被告乙山春夫(以下「被告春夫」という。)は、原告に対し、日本銀行出資証券四〇〇口券を引き渡せ。

右出資証券の強制執行が不能になったときは、被告春夫は、原告に対し、六二〇〇万円を支払え。

3 被告春夫は、原告に対し、株式会社乙山の株券三万二〇〇〇株を引き渡せ。

右株券の強制執行が不能になったときは、被告春夫は、原告に対し、一六〇〇万円を支払え。

4 被告春夫及び被告乙山松子(以下「被告松子」という。)は、原告に対し、日本金属工業株式会社の株券七〇〇〇株を引き渡せ。

右株券の強制執行が不能になったときは、被告春夫及び被告松子は、原告に対し、金三八八万五〇〇〇円を支払え。

5 被告春夫及び被告松子は、原告に対し、金九二四二万四九一三円及びこれに対する平成六年二月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

甲事件は、原告が、伯母である亡乙山花子(以下「亡花子」という。)から、秘密証書遺言によりその所有していた全財産の遺贈を受けたと主張して、所有権に基づき、亡花子がもと所有していた別紙物件目録一ないし三記載の土地及び建物につき、贈与を原因として所有権移転登記をした被告会社に対し、真正な登記名義の回復を原因とする所有権移転登記手続並びに右各建物の明渡し及び使用相当損害金の支払を請求するとともに、同目録一記載の建物につき、根抵当権設定登記をした被告信用組合に対しその抹消登記手続を請求する事案である。

乙事件は、原告が、亡花子から右のとおり遺贈を受けたと主張して、所有権に基づき、亡花子がもと所有していた別紙物件目録四記載の土地について贈与を原因として所有権移転登記をした被告会社に対し、真正な登記名義の回復を原因とする所有権移転登記手続を請求するとともに、被告春夫及び被告松子に対し、亡花子に帰属していた有価証券の引渡し等を請求し、さらに、不法行為による損害賠償請求権に基づき、被告春夫及び被告松子に対し、右被告両名が亡花子の預金等を故なく引き下ろして横領したとして、右引き下ろした金員相当の損害賠償を請求する事案である。

一  争いのない事実

1 亡花子は、明治三六年一一月三〇日に生まれ、平成四年一二月二四日に死亡した。亡花子は、昭和一八年八月二六日に亡乙山太郎(以下「亡太郎」という。)と婚姻の届出をしたが、亡太郎は昭和五三年四月二一日に死亡した。亡花子と亡太郎の間に産まれた子はいない。

原告は亡花子の姪である。原告には夫甲野松夫(以下「松夫」という。)がいる。

被告春夫は、亡太郎の甥であり、被告松子は、被告春夫の妻である。

被告春夫及び被告松子は、昭和六三年四月二九日、亡花子の養子となる旨の養子縁組届を東京都墨田区長に提出した。

2 被告会社は、昭和三八年一月三〇日に設立された株式会社であり、亡太郎が代表取締役であったが、亡太郎の死亡後、被告春夫が代表取締役に就任した。

3 亡花子から原告に対し、その所有する動産、不動産の全部を贈与する旨の記載がされた昭和五七年一二月二一日付遺言書及び同月二七日付秘密遺言証書(以下右の秘密証書遺言の方式によりされた遺言を「本件遺言」という。)が存在し、右遺言書及び証書には、片仮名による亡花子名義の署名及び亡花子の実印による印影が存する。

4 亡花子が、被告会社に対し本件各不動産を贈与するとともに、被告春夫に対し被告会社の株券及び日本銀行出資証券を贈与し、同被告において亡花子の老後に同人を扶養し、同人の死後は最高の礼を持って供養するとの負担付贈与契約が昭和五九年三月二八日に締結されたとの記載がある負担付贈与契約公正証書が存する。

右公正証書の作成についての弁護士浜岡計に対する委任状には、亡花子名義の漢字による署名及び亡花子の実印による印影が存する。

5 亡花子は、昭和五九年三月二八日当時、別紙物件目録一ないし四記載の各不動産(以下併せて「本件各不動産」という。)並びに日本銀行出資証券四〇〇口券及び被告会社株券三万二〇〇〇株を有していた。

亡花子は、死亡当時、日本金属工業株式会社株券七〇〇〇株を有していた。

6 別紙不動産目録一ないし三記載の各不動産につき平成五年八月三〇日、同目録四記載の不動産につき昭和五九年五月一七日、それぞれ亡花子から被告会社に対する贈与を原因とする所有権移転登記手続がされた。

別紙不動産目録一記載の不動産につき、昭和六三年一一月一〇日受付第五六六四七号をもって、権利者を被告信用組合、債務者を被告会社とする極度額一億七〇〇〇万円の根抵当権を設定する旨の根抵当権設定登記(以下「本件根抵当権設定登記」という。)がされた。

7(一) 被告春夫及び被告松子は、亡花子が権利者であった以下の各割引債について、山和証券株式会社を通じて、昭和六三年四月以降、以下のとおり償還金及び利息を取得した。

(1) 償還金

平成五年七月二七日

四〇万円(第六一三回ワリコー)

同年一〇月二九日

五六〇万円(第六一六回ワリコー)

同年一一月二六日

一〇〇万円(第六一七回ワリコー)

平成六年二月二五日

一〇三〇万円(第六二〇回ワリコー)

(2) 利息

三三六万一三二五円

(二) 亡花子は、富士銀行押上支店に定期預金を有していたが、被告春夫及び被告松子は、平成元年九月一二日に右預金を解約し、同日、自由金利型定期預金として積み立てた。

被告春夫及び被告松子は、平成三年九月一二日、右自由金利型定期預金のうち一八〇〇万円を引き下ろして亡花子名義の借入金一八〇〇万円の返済に充当した。同日現在の預金額は二一七一万一六〇一円であった。その後、同被告は、平成四年四月三〇日、三〇〇万円を引き下ろし、さらに、被告松子は、平成五年四月一五日、一二五万一〇七二円を引き下ろした。

(三) 亡花子は、東日本銀行吾妻橋支店に普通預金一五万三二七〇円及び定期預金三七三万六六二七円を有していたが、被告春夫及び被告松子は、平成五年四月一五日、右各預金を引き下ろした。

(四) 被告春夫及び被告松子は、平成四年七月一三日、亡花子が被告信用組合本店に有していた定期預金三口(元利金合計二〇〇五万二三四一円)を解約し、右解約金のうち一七〇〇万円を亡花子名義で借り入れた借入金一七〇〇万円の返済に充当し、同年七月一五日、右残金から亡花子名義で三〇〇万円の定期預金をした。

被告春夫及び被告松子は、平成五年四月二〇日、亡花子の有していた普通預金三口及び平成四年七月一五日に預金された前記定期預金の元利金四〇六万〇九六一円を引き下ろした。

(五)(1) 亡花子は、東京都民銀行御徒町支店浅草出張所に定期預金二口を有しており、平成三年一〇月三一日当時、その預金額は元金一三四七万四四九三円、利息九一万六四四〇円であった。

被告春夫及び被告松子は、右同日、元金一一六七万四四九三円を引き下ろし、右金員から元金二五〇万円の定期預金をした。その後、平成五年四月一六日、右定期預金を解約し、元利金六九三万七三六三円を亡花子名義の普通預金に組み入れた上これを解約した。

(2) 亡花子は、昭和六三年四月以降、東京都民銀行御徒町支店浅草出張所の普通預金口座において、以下のとおり墨田区収入役から年金の振り込みを受けた。

昭和六三年 一一一万九一〇七円

平成元年 一四九万二五〇〇円

平成二年 一七四万二八〇〇円

平成三年 一六二万四二二八円

平成四年 一六七万九一六〇円

二  争点

1 亡花子から原告に対する全財産の遺贈がされたか否か。

2 亡花子から被告会社に対する本件各不動産の贈与並びに亡花子から被告春夫に対する日本銀行出資証券及び株式会社の株券の負担付贈与がされたか否か。

3 亡花子は、被告信用組合に対し、本件根抵当権設定登記に係る根抵当権を設定したか否か。

4 前記争いのない事実7記載の亡花子の預金の引き下ろし等について、亡花子の承諾があったか否か。

三  原告の主張

1 亡花子は、昭和五七年一二月二一日ころ、原告に対しその所有する動産及び不動産の全部を遺贈する旨の本件遺言を作成し、同年一二月二七日、右遺言を公証人役場において秘密証書遺言とした。

亡花子は、右遺言の作成以前から、被告会社の代表者である被告春夫に対して不信感を抱く一方、原告及びその夫である松夫を非常に信頼していたものである。亡花子は、群馬県内の原告方を訪れ、全財産を原告に遺贈する意思を原告に伝えたので、松夫が本件遺言の原案を作成し、亡花子が片仮名で自署押印した上で、亡花子が帰京後、公証人役場において秘密証書遺言とする所定の手続を受けたものである。

2 被告ら主張の亡花子から被告会社及び被告春夫に対する負担付贈与契約は、被告春夫らが、亡花子の作成名義を冒用した偽造の委任状により公正証書を作成させたものであって無効である。

3 亡花子は、昭和六三年一一月当時、老人性痴呆症が進行して人物の区別さえできない状態にあり、本件根抵当権設定契約に係る根抵当権設定契約は、偽造によるものであるか、又は亡花子の意思能力が欠如した状態で締結されたものであって無効であるし、右登記も亡花子名義の偽造の委任状によって手続がされたものであって無効である。

4 被告春夫及び被告松子は、亡花子が昭和六三年四月に老人性痴呆症の診断を受けた後、亡花子の承諾なく前記争いのない事実7記載の預金の引き下ろし等を行い、亡花子の財産を着服したものであり、その額は合計九二四二万四九一三円を下らない。

四  被告会社、被告春夫及び被告松子の主張

1 本件遺言は、亡花子の真意に基づき作成されたものとは到底考えられない。亡花子は、平仮名しか書けず、また群馬県内の原告方を訪れたとも考え難いのであって、本件遺言及び公証人による秘密遺言証書(封紙)に記載された亡花子名義の署名は、第三者によってされたものとしか考えられない。

2 亡花子は、昭和五九年三月二八日、被告会社及び被告春夫との間で、本件各不動産を被告会社に、日本銀行出資証券及び被告会社の株券を被告春夫にそれぞれ贈与し、被告春夫において、亡花子を扶養し、死亡の際は最高の礼をもって供養する旨の負担付贈与契約を締結し、右契約について同年四月九日公正証書の作成を受けたものである。

3 被告春夫及び被告松子は、前記預金の引き下ろし等のうち、亡花子の生前にされたものについては、いずれも亡花子の承諾を得ていたものである。また、右被告両名は、昭和六三年四月二八日、亡花子との間で養子縁組をしたものであり、前記預金の引き下ろし等のうち、亡花子の死後にされたものについては、亡花子の相続人として行ったものである。

五  被告信用組合の主張

1 被告信用組合は、昭和六三年一一月一〇日、被告会社に対し、一億一四〇〇万円を貸し付け、右同日、被告会社から別紙不動産目録一記載の不動産について根抵当権の設定を受け、右不動産の登記簿上の所有者である亡花子から本件根抵当権設定登記を受けたものである。

2亡花子は、本件根抵当権設定登記がされた当時、老人性痴呆症が進行していたものではなく、意思能力に欠けていたものではない。

第三  当裁判所の判断

一  争点判断の前提となる事実

《証拠略》によれば、以下の各事実が認められる。

1 亡太郎は、昭和二五年以前から、乙山商店の商号で、個人でニッケル、鉄屑等の回収、加工を業として行っていたが、昭和三八年一月三〇日、資本金九〇〇万円で被告会社(当時の商号は株式会社乙山商店)を設立した。被告会社は、その後、昭和五二年四月までの間に、資本金が九〇〇〇万円になるまでに成長した。

一方、被告会社の本店所在地は、被告会社の設立のときから別紙物件目録一ないし三の各不動産の所在地と同一であったが、亡太郎は、昭和三九年三月六日に同目録三記載の土地を買い受け、その後、右土地上に、昭和五一年三月ころ同目録二記載の建物を、同年六月ころ同目録一記載の建物をそれぞれ新築した。これらの各建物は、以後、亡太郎及び亡花子の自宅兼被告会社の事務所ないし倉庫として使用されてきた。

2 被告春夫は、昭和二五年ころから、亡太郎の下で乙山商店の営業に従事するようになり、被告会社設立後は、亡太郎が高齢であったこともあって、被告会社の専務として、被告会社経営の中心的存在となるに至った。

一方、松夫は、昭和二九年ころから亡太郎の下で働くことになり、また、原告は、昭和三二年ころから昭和四〇年ころまで、亡太郎及び亡花子の家事手伝いとして、右両名の身の回りの世話等をしていた。しかし、松夫は、被告会社においてさしたる地位を築くことはできず、昭和五五年には、原告を伴い、被告会社の群馬営業所に赴任し、原告の実家がある群馬県碓氷郡松井田町に住むようになった。

3 亡花子は、ほとんど識字能力を有さず、かろうじて仮名で自分の名前等が書ける程度であった。

4 亡太郎は、昭和五一年ころ、被告春夫を後継者とし、いずれも同被告を被告会社の代表取締役とするとともに、同被告を養子とすることを考えるようになり、亡花子、被告春夫及び友人である丙川竹夫にその旨を伝え、亡花子もこれを了承した。

5 亡太郎は、昭和五三年四月二一日に死亡した。

被告春夫は、同人の死亡後、被告会社の代表取締役に就任する一方、亡太郎の遺産の処理について、同人の相続人らに対し、本件各不動産が被告会社の事務所等であることから、同人が所有していた本件各不動産及び新潟県燕市内の宅地の共有持分権について、被告会社の財産の散逸を防ぐため、亡花子にすべて相続させる旨の申し入れをし、右相続人らの承諾を得て、その旨の遺産分割協議書を作成した。

また、被告春夫は、昭和五三年九月二九日、東京都に対し、亡太郎が葬られた東京都霊園につき、亡太郎を承継して使用する旨の申請をし、同年一〇月二〇日、東京都から右承継使用の許可を得た。

6 亡花子は、昭和五八年に入り、風呂で転倒して腰部を骨折し、以後骨粗鬆症等のため、寝たきりの生活を強いられ、山田病院、磯野病院及び安江病院で入退院を繰り返すようになった。

7 亡花子は、昭和六一年九月、安江病院に入院したが、その前後から、大小便の便意がない状態となるなど、少しずつ記憶力、記銘力が低下し、次第に老人性痴呆症の症状を示すようになり、後記のとおり昭和六三年四月四日付けで主治医によって老人性痴呆症の診断を受けるに至った。これに至るまでの間の昭和六一年一一月には、卵巣癌に罹患していることが判明したが、手術は不可能な状態であった。また、昭和六三年六月一日には、脳動脈硬化症の診断を受けた。

この間、亡花子は、一週間に三回程度見舞いに訪れていた被告会社の経理担当者であった丁原竹子(以下「丁原」という。)と簡単な日常会話を交わしていた。また、昭和六三年一一月に主治医が安江正俊医師に代わったが、同医師は、このころ、亡花子が、主治医が代わったことを認識できたと判断した。

二  亡花子から原告に対する全財産の遺贈されたか否か(争点1)について

1 原告は、亡花子が、昭和五七年一二月二一日ころ、群馬県碓氷郡松井田町(以下「松井田町」という。)の原告方を訪れ、全財産を原告に遺贈したい旨の希望を述べたうえ、本件遺言を作成し、同年一二月二七日、これを公証人役場において秘密証書遺言としたものであり、右遺言により、その全財産を原告に遺贈したものであると主張し、甲第四号証中二枚目の遺言書には「オツヤマハナコ」の署名と亡花子の実印によるものと認められる印影があり、同号証中四枚目の秘密遺言証書と題された封書にも「オツヤマハナコ」の署名と亡花子の実印によるものと認められる印影があり(印影の同一性は、甲第六号証の五により亡花子が印鑑登録したものと認められる印影との対照によりこれを認める。)、甲第一〇号証の記載及び証人甲野松夫の証言中には原告の右主張に沿う部分がある。

2 まず、甲第四号証中二枚目の遺言書の「オツヤマハナコ」の署名及び同号証中四枚目の秘密遺言証書と題された封書の「オツヤマハナコ」の署名についてこれらが亡花子自身の署名であることを証すべき証拠としては、甲第一〇号証の記載及び証人甲野松夫の証言があるものの、前記のとおり亡花子は十分に読み書きができなかったのであり、筆跡の対照の資料とすべき亡花子本人の自署と確認できるものを証拠上見出し難く、十分な裏付けとすべきものがないのであって、このことを踏まえて証人丁原竹子の証言に照らすときは、甲第一〇号証の右記載及び証人甲野松夫の右証言を採用することができず、結局右各「オツヤマハナコ」の署名が亡花子の自署であることを認めるに足りる証拠はないといわざるを得ない。

のみならず、甲第一〇号証の記載及び証人甲野松夫の証言によれば亡花子の自署であるという甲第四号証中二枚目の遺言書の「オツヤマハナコ」の署名並びに甲第九号証の一ないし三の「オツヤマハナコ」の署名は、筆記用具が異なると思われるのに、字体、字の震えに共通した特徴があり、同一人の手になるものと認めることができるが、これらの署名と甲第四号証中四枚目の秘密遺言証書と題された封書の「オツヤマハナコ」の署名とを対照すると、両者には類似している点も見受けられるものの、どちらも片仮名であり、前者を書いた者より字の上手な者であれば前者に類似した字を書くことは比較的容易であると考えられる反面、後者には前者に特徴的な字の震えを認めることができないから、このことに照らして考えると、後者が前者と同一人の手になるものと認めるに足りないといわざるを得ない。

さらに、甲第四号証中二枚目の遺言書及び同号証中四枚目の秘密遺言証書と題された封書には亡花子の実印により顕出されたものと認められる印影がある。しかしながら、乙第六号証、第一二号証に証人丁原竹子の証言を併せて考えれば、昭和五三年四月二一日に甲野太郎が死亡したことに伴いその相続人間で遺産分割協議を行った際に作成された遺産分割協議書には代筆による亡花子の署名とその当時の実印による押印があり、この当時の実印と、甲第四号証中二枚目の遺言書及び同号証中四枚目の秘密遺言証書と題された封書に顕出されている印影の実印とは異なるものであること、亡花子の実印はその依頼により被告会社の経理担当者であった丁原が被告会社の金庫に保管していたが、後者の実印は松夫が亡花子の実印を改印した旨告げて丁原に持参したものであること、丁原竹子は亡花子から直接改印のことを聞いていなかったこと、以上の事実が認められ、これらの事実に照らして考えると、甲第四号証中二枚目の遺言書及び同号証中四枚目の秘密遺言証書と題された封書に亡花子の実印により顕出されたものと認められる印影があることに基づいて、甲第四号証中二枚目の遺言書に「オツヤマハナコ」と署名した者と同号証中四枚目の秘密遺言証書と題された封書に「オツヤマハナコ」と署名した者とが同一人物であることを推定することはできないというべきである。

3 また、前記認定のとおり、被告春夫が被告会社の代表取締役として被告会社における亡太郎の地位を承継する一方、亡太郎の遺産相続の際、被告会社の経営の基礎となる財産の散逸を防止するために、被告会社の社屋と敷地として使用されている別紙不動産目録一ないし三記載の各不動産について、亡花子の単独相続とする旨の遺産分割協議を行って亡花子がその所有者となった経緯からすれば、被告会社の経営にほとんど関与しておらず、また夫である松夫にしても被告会社においてさしたる地位にあるわけでもない原告に対し、本件各不動産すべてを遺贈する旨の本件遺言は、その内容においても不自然な点があり、亡花子が、このような遺言を作成するものとは考えがたいところがある。

4 そうすると、本件遺言が民法九七〇条一項所定の方式(遺言者が秘密証書に署名し印を押すこと、遺言者がその証書を封じ、証書に用いた印章をもってこれに封印すること、遺言者が公証人一人及び証人二人以上の前に封書を提出して自己の遺言書である旨等を申述すること、公証人がその証書を提出した日付及び遺言者の申述を封紙に記載した後、遺言者が公証人及び証人とともにこれに署名し、印を押すこと)に従ってされたものであることを認める足りる証拠はないというに帰する。

よって、本件遺言により亡花子の財産の遺贈を受けた旨の原告の主張は理由がない。

三  以上の次第であるから、原告の請求はその余の点について判断するまでもなくいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高世三郎 裁判官 小野憲一 裁判官 前沢達朗)

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